米海軍は戦艦を含むあらゆる軍艦をこの島の周辺に送り込んだ。それに対し日本陸海軍は、ソロモン諸島奪還を目的とする「カ号作戦」を発令したが、海軍はその頃効果の現れだした米軍の通商破壊戦による影響から燃料不足に陥っており、そのため新鋭戦艦大和を保有しながらも戦艦は旧式の金剛型4隻のみを送り出した。このことは米海軍が全力を挙げて、持てる戦力のすべてを挙げて攻勢に出ているのに対して、積極性を欠いていたとの指摘もあるが、山本五十六連合艦隊司令長官は、大和を率いて戦艦部隊全体での攻撃を企図しており、その検討にも入っていた。しかし、なにぶん燃料不足に陥っていた日本海軍としてはこの辺が能力の限界であったとも言える。この日本海軍の行動はミッドウェー海戦とおなじく太平洋戦争の敗北原因の1つとされている。さらにこのソロモンでの戦いでラバウル航空隊は往復2,000キロもの長距離飛行を強いられた。そのため、熟練搭乗員の疲労は激しく、多くの航空機と貴重な搭乗員を無駄に消耗していった。また日本が建設しアメリカ軍が命名したヘンダーソン飛行場を巡る地上戦では、日本軍の状況判断の誤り、輸送能力の不足、戦力の逐次投入などにより攻撃はことごとく失敗し、戦況は泥沼化した。
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一連の撤退作戦が行われた後、1943年2月9日ガダルカナル島からの転進を伝える大本営発表が行われた。この戦いにおける日本軍の死傷者24,000名(大部分が餓死・戦病死)、アメリカ軍の死傷者6,000名を数えるまでになっていた。こうして、戦略の失策と、圧倒的な物量差から日本軍はソロモンでの戦いに敗北、ガダルカナルから撤退し、以後戦況は悪化の一途をたどる。